鬱が治る考え方と食べ方(SJさん)
基礎科前期レポート 
 
 
【恭子先生の本に出会うまで】
 
小さなころから虚弱で、いつもどこかに不具合と不定愁訴がありました。アトピー症状がひどく、蚊に食われれば膿み、年中鼻炎で、風邪をひけばいつまでも治りませんでした。小中学校の頃は、いくつか神経症症状の自覚もありました。
恭子注
蚊に喰われると膿む…というのは、典型的な陰性症状です。
これは、甘いものが原因です。


若いころはかなり無茶な生活をしました。深夜まで仕事をし、おつまみをお腹一杯、記憶がなくなるまで酒を飲み、最後にラーメンを食べて帰り、次の日は昼過ぎに起きて二日酔いで仕事へ向かうといった生活です。タバコは1日1箱以上吸っていましたし、不健康な生活で太り、数ヵ月で20キロ減量したりと、身体をまったく大切にしていませんでした。貧血気味でめまいも多く、仕事のストレスからメニエール病も発病していました。

 

生活を変えたのは、子どもを持とうと思った時です。タバコをやめ、無農薬有機食材を求め、分つき米や玄米を食べるようになりました。肉や魚や砂糖も食べすぎないように注意しましたが、やはり息子はぜんそく、娘は皮膚のひどいアトピーを持っていました。
恭子注
「分つき米や玄米を食べ、肉や魚や砂糖も食べ過ぎない」ように注意しても、ぜんそく、ひどいアトピーになる…
とてもいい食事のはずなのに、効果がないのでしょうか?
いいえ、効果は目に見えないところではあったと思いますが、結果が出る、つまり、喘息が治る、アトピーが治る、というところまでにはいかないのです。結果で出るには、最初、しっかりとした玄米菜食(のみ)を厳密にしないといけません。治ってきてから、その健康を維持する時には、「分つき米や玄米を食べ、肉や魚や砂糖も食べ過ぎない」程度で保てます。治すには、一度は厳しい玄米菜食をしないと効果は現れません。


食事には自分なりに気を使っていましたが、子どものアトピー症状が落ち着くにつれ、だんだん普通にもどってしまいました。私の身体も、その頃は、それまでになく調子が良く、花粉症だけが悩みでした。

 

子どもたちに手がかからなくなって、お菓子作りやパンの勉強を始めました。4〜5年の間は真剣に取り組んだので、その間に食した砂糖の量は相当になります。1週間に1〜2ホール位を家族で食べていました。私も平均すれば1日1個以上食べていた勘定です。生クリーム、バターたっぷりのクッキー、ロールケーキ、タルト、シュークリームなど、なにかしらが冷蔵庫にありました。夕食後は、きまってコーヒーで試食会でした。
恭子注
教室の受講生で、不妊症の方で、お菓子のパティシエやら、毎日洋菓子を2〜3個食べていたと言う方がいっぱいいらっしゃいます。
まさにその典型の症状ですね。

また、その頃仕事を再開したので、家族の朝食は、簡単なパンとたっぷりのミルクティーになりました。それまでの数年間、私は朝食を抜いていたのですが、いつしか家族につられて、パンを食べるようになっていました。

 

その頃の食事は、朝はパンとミルクティーに加え、ハムとチーズ、玉子などをレタスやトマトなど冷たい野菜と一緒に摂る感じでした。パンにはオリーブオイルを塗っていました。(気を使っているつもり・笑)

昼はパスタや蕎麦、ラーメン。ランチは誘われるままにイタリアンやフランス料理、インド料理にエスニックと食べ歩きました。そんな時はデザートも必ずつけました。普段の夜は、分つき米、みそ汁、メインの肉・魚料理(揚げ物や炒め物)、野菜の副菜を2〜3品くらい。やはり、気をつかっているつもりでした。

けれども、夫の帰りが早い日は、大皿料理を4〜5皿並べていました。好きなだけとりわけ、お酒を飲み(まずビールかシャンパン、その後ワインを4〜5杯、または焼酎4〜5杯など)、そのままご飯を食べずに済ますということも多かったです。週に2,3度はそうでした。

大皿料理は、たとえば、豚肉を揚げてトマトソースで煮込んだもの、じゃがいものグラタン、サーモンを入れたマリネ、レンコンと牛蒡のサラダ、野菜と油揚げの煮びたし、といった盛りだくさんメニュー。それでも足りずにキャベツのパスタをあとから作り足すような感じでした。
油は圧搾・醤油は本醸造、砂糖は使わず、あんかけは本くず粉、という、自分なりに気を使った「野菜たっぷり健康料理」のつもりでいました。そんなメニューにご飯は合わないので、パスタやフランスパンを主食としていました。

食べるのは誰よりも早く、「主食食べ、良くかむ、食べすぎない」のすべて落第点でした。
恭子注
1、主食中心
2、よくかむ事
3、食べ過ぎない
まさに、この3つさえ守ればいいのです
補足:砂糖は食べない


 

その頃、身体の症状としては、大きな不具合は出なかったのですが、朝起きられない、だるい、起きた時の落ち込みや不安感が強く、仕事に行きたくないなどがありました。身体はとても冷えていました。手足がむくんでいることも多かったです。貧血気味で頑張りが効かず、集中力がありませんでした。疲れると寝てばかりいました。ヒステリックに子どもたちを叱ることも多かったです。
恭子注
これぞまさしく現代人の未病状態ですね。以前の私がそうでした。

子供や家族に当たる…
「こんなときはどうすればいいですか?」
と聞かれました。私の答えは…
「今、お母さんはいらいらしてるの、機嫌が悪いの」と言えばいいのです。
そうすれば、子供は自分が悪くて怒られているのではない事がわかります。子供が自己否定しなくてすみます。また、人間の観察ができてきます。つまり、こんな時は、近づかないほうがいいな、とか…



お菓子に凝っていた時期の後半には、クビが全く動かなくなる頚腕症候群という症状に見舞われました。パソコンを使う仕事が負担になったと思っていたのですが、身体が固く冷えていたことも原因のように思います。治るのに2か月以上、鍼灸に通いました。同時期に数度ぎっくり腰もしました。おかげで身体の悲鳴に気が付き、そこからヨーガを始めました。これは今も続けています。

 

その後に、最大の危機・鬱病がやってきました。元々ネガティブに思い悩む方であると同時に、自己顕示欲と自己嫌悪の間でいつも揺れているところがありました。
恭子注
劣等感は実は優越感の裏返し、なのです。
優越感も劣等感の裏返し。どちらも、自我が強いのです。
ちなみに、自我を捨て去るほどに、心が楽になっていきます。畳の目ほどの進歩でいいのです。

それが、人間関係のこじれをきっかけに暴走してしまい、鬱病発病となりました。

朝起きると「どうしてまだ、生きてしまっているのだろう」と思います。仕事は最低限していましたが、周りから見れば、やること成すこと、うつろだったと思います。くよくよと自分を責めたかと思うと、原因になった人を恨み怒り、いつまでもグルグルと同じことを考えて闇の中、出口がない感じでした。
恭子注
少し難しいかも知れませんが、すべては、自分の運命なのです。
というと、自分が悪いと自分を責める人がいますが、そう言う意味ではなく、例えば、誰が見ても意地悪な姑に出会って悩んでいるとします。では姑をとっ変えましょうか。姑をとっ変えるためには、夫を変えなければいけません。離婚して他の夫と結婚します。他の姑になりますね。でも、本人の姑運なので、形が変わった事象でまた、この人は悩むのです。自分の姑運を良くしなければ解決にならないのです。それでもまだ、自分をとがめられていると感じる人にはこう言いましょう。相手の姑も、嫁運が悪いのです。
意外に思う人がいるでしょうが、ああ自分の運命なんだ、と腹をくくると、楽になります。

強い薬を飲めば、気持ちは楽になりましたが、頭も働かず感情も遠いところにあるようで、ぼーっと水の中にいるようでした。家のこともあまりできずに横になっていたり、将来が怖くて泣いていることが多かったです。ほんとうに苦しい日々でした。

 

 

【恭子先生の本に出会って】
 

そんな鬱病の症状が一番苦しい時に、本屋さんで恭子先生の御本に出会いました。

本を読み、ブログを読み、載っているお料理を作ってみました。そこに、明るいところへ続く道があることが、直観的にわかりました。

恭子先生のブログを読みながら、なんど涙を流したかわかりません。冷えて固くなった心が温かく溶けだし、流れ出すのを感じました。鬱病は完治まで2年かかりましたが、ブログの中の温かでおいしそうな料理と、恭子先生の厳しいく優しい言葉が、色々な場面で支えになってくれました。
恭子注
こう仰っていただけると、私のブログへの励ましになります。

ずっとお教室に通ってみたかったのですが、病気中は気後れして実現しませんでした。元気になると今度は仕事が忙しくなってしまい、何度か募集の時期を逃して、今回ようやく参加させていただくことにしました。

 

それは、私の性格や体質が、今後また、鬱に限らずいろいろな病気を連れてくる可能性を持っているからです。

恭子先生の御本にある、水野南北が易学者に「剣難の相が出ている」といわれて慌てたように、私も、鬱病から、「天与の分限を知れ」と言われたような気がしたのです。

 

 

【教室に通ってみて】
 

@せっかく教室に通うのだから、とにかく完璧にやってみようと、最初は意気込んで始めました。10月から12月前半くらいの時期です。その頃の食事は、

朝 梅生番茶、

昼 (外出時)自然食屋さんの定食、蕎麦屋でたぬきそば。(在宅時)朝作って置いた玄米おにぎり2個、けんちん汁またはひじきレンコンなど。飲み物は三年番茶かどくだみ茶。

夜 雑穀やあずき、黒豆などを3種ほど入れた玄米とけんちん汁を必ず。ひじきレンコンか、きんぴらか、煮ものはどれかは食卓にあるようにしました。他に小さな野菜料理1〜2品。(野菜の煮びたしやおひたし、ボリュームのない時は野菜のてんぷら、大豆製品のから揚げ、野菜の春巻きなど。油揚げと厚揚げは野菜と一緒に料理して、良く食べました)おやつも、小豆かぼちゃやクレープの中身のサツマイモとリンゴの煮たものなどにしていました。コーヒーもパンもやめ、優等生でした。

 

最初は便が1日3回、4回と出ましたが、3週間ほどで1日1〜2回に落ち着きました。とても腸の調子がよくなりました。途中で、恭子先生に、「あまり効果が出ていない。陰性がとても強い」と言われ、厳密にやっているのに、と情けなくなりましたが、自分のこれまでの生活を思えば当たり前のことかもしれません。
恭子注
そうなんです。
少しも望診上のお顔が変わらないのです。
以前、ケーキを一日に2〜3個食べていたと言う受講生も少しもお顔が変わらなかった、のですが、この方も全くいっしょでした。よほど陰性の食べ物が過去に多かったのだと思います。そして、腸を表す望診上のお顔が悪いのです。

2週間後くらいから肛門が荒れて、切れ痔のように痛みましたが、2週間ほどで治り、そのあとは、左おでこと恥骨の皮膚に、カサカサのアトピーが出てきました。(以前に、ヘアカラーをしたとき、1年くらい抜けなかったものと酷似)かゆいのでかくと皮膚がボロボロと落ちますが、経験上毒出しだと思っています。この症状は今も続いています。

 

A12月後半〜1月後半の時期は、年末年始のおつき合いで食生活が乱れました。
基本の朝昼晩の食事は乱れなかったのですが、野菜の料理が物足りず、じゃこや桜エビなどを使うようになりました。時々間食もするようになりました。最初はコメと醤油のみ材料のおせんべいを心がけていたのですが、だんだんに、国産小麦に菜種油と粗糖を入れたようなクッキーや、パリッとした野菜のクラッカーなどを買ったり、作ったりするようになりました。たんぽぽコーヒーが気に入り、1日に3杯くらい飲んでいました。
恭子注
自然食品店に売っているお菓子ならいいと思って、つい食べ過ぎる方は多いです。
が、よくありません。

 

加えて、仕事やプライベートでの忘年会、新年会が続き、歯頚にその影響が大きくでました。

持ち寄りの忘年会では、玄米の五目御飯と大豆たんぱく揚げ、カブのゆず漬けをもって行ったのですが、他の方の持ち寄り品のお料理(多分、サーモンと肉のダシと砂糖が原因)をいただき、日本酒を1合ほど飲んだところ、翌日夜から歯肉がうずきだし歯が浮いたようになりました。やがて激痛になり、顔半分が大きく腫れ熱まで出ました。梅生番茶と玄米クリーム、ほっぺに里芋粉を貼って、乗り切りました。
恭子注
素晴しい対処法です。
自分が今何を食べれば毒だしができるかがわかってきました。


それに懲りていたので、親類の新年会ではポットに梅生番茶を持っていきましたが、やはり義姉の勧めを断れずに、お刺身(イカ、ハマチなど)、甘い味付けの煮もの、中華料理(取り寄せてくださった餃子やセンマイなど)を少量いただき、お酒もおつき合いに1杯だけ飲んだところ、やはりまた、翌日から顔半分の腫れと激痛と熱の目に遭いました。この時は、完全に歯の奥の痛みが取れるのに1週間もかかりました。

 

この2回の経験で、マクロビの素晴らしさと怖さの両方を知りました。厳密にやっている時は、ハンドル利きすぎるスポーツカーのように、ほんのちょっと良くないものが入るだけで、身体はビックリして大きな症状を表します。
恭子注
いい例えですね。その通りです。
悪いものを悪い、とすぐ教えてくれる体になったのです。


何十年もかけてつくってきた体質をたった数ヵ月の我慢で変えることはできないのだから、その上自分はとても欲の深い人間なのだから、コントロールの具合を自分なりに決めていかないと、今後も困る場面が出てくるだろうことに気が付きました。同じころ夫に、お酒に付き合わなくなったことを「それだけが楽しみだったのに」とこぼされ、どのようなバランスを自分に許したらいいのか、考えるようになりました。

 

昔、玄米食をしていたときに接したマクロをしている人たち独特の顔色や、どんどん狭くなる考え方、独特の特権意識に対する違和感を想い出しました。そのような違和感に対する答えが、恭子先生の御本に網羅されていたことも、私が恭子先生にマクロを習いたかった理由のひとつだったのです。

私が、「できなかった」「たべてしまった」というと、「それくらいいいじゃない」「勉強になったじゃない」「とても良いおつき合いの仕方です」と言われて、救われました。
恭子注
健康の基は、「家庭の和」です。
ご主人と夜お酒を飲む事も完全に拒否しないで付き合い方を考えるなんて、なんて素晴しい奥さんでしょう。
あとは、自分の器(何をどれだけ食べてもいいか)を悟る修行?
それを楽しみながら探っていけばいいのです。おもしろい人体実験です。
そしてまた、マクロをして7年立つと細胞が生まれ変ります。すると、もっと食べられるものが増えていきます。


融通の利かない完璧主義なところがあるので、「どうせできないならもう、どうでもいい!」となりがちです。「この辺のところでうまくやろう」ということを失敗しながら探っていくことの面白さを得たことも、恭子先生のおかげです。

(お料理に気をつければ、お酒を飲んでも劇症は出ないので、今は週に1度くらいは、夫に焼酎を1〜2杯付き合っています。)

 

 

B2月〜3月は、仕事が忙しく、食事が緩み過ぎた時期です。食事は、基本(朝の梅生番茶、夜の雑穀、豆などを入れた玄米、けんちん、三種の神器(ひじきれんこん、きんぴら、しぐれみそ)どれかに野菜料理や煮もの)線は崩していないのですが、たとえば、煮ものを家族と別々に作るのが面倒で、お肉を入れて作り、自分は肉を避けて食べる、いうことをたまにするようになりました。食べる量も、ご飯に対して、おかずが多くなってしまいました。

 

そして、他の方と食事を一緒にとらなければならない機会が多くなりました。パスタやカレーなど不本意な物を食べることも多かったです。乱れに便乗して、マクロ開始からずっと我慢していたパンを食べてしまったのもこの時です。マクロビ仕様のお菓子に手を出す回数も増え、パンは1回だけなのですが、腸からは、なかなか粘りがとれませんでした。
 

また仕事の外出が増えてカフェ通いも多くなってしまいました。通勤の前後や、打ち合わせなどで、豆乳ラテなどのコーヒー類に手が出てしまいます。そこへ粉モノのおやつが加わると、てきめんに腸の調子が崩れるのがわかります。お腹が張ってガスがたまり便秘気味になり、大は粘性が出てスッキリ出た感じがしません。小も、量と回数が驚くほど増えてしまいます。

元々、腸が悪くガスがたまりやすく、家族から「入った後が臭い」と言われていたので、腸内細菌の状態が良くないのかもしれません(私の器)。一度崩れてしまうと、キチンとした食事をしていても元の状態に戻るのに時間がかかり、調子が戻らないうちに、またコーヒーやおやつを食べてしまうという良くないサイクルで、一時は、マクロを始める前よりも、排出が悪くなってしまいました。

 

コーヒーは、依存している感じがわかります。マクロを厳密に始める前は、そんなに執着していませんでした(週に2回くらい)。仕事の不安や緊張を鎮めるのに、他の方法がないか工夫中です。強く禁止抑圧すると、別のところに反動がでるので、自分をだましだまし、離れられたらいいなと思っています。
恭子注
なかなか、この自分の器を悟る、と言う作業は厳しく、私も何年も何年も、いえ、今でさえ、さぐりつつあります

 

 

 

【これまでの変化・身体と心】

スッキリと起きられる朝が多くなりました。朝、絶望感や不安の種を見つけることも少なくなり、見つけてもやり過ごせるくらい薄く弱く感じるようになっています。
恭子注
すばらしい!
これも奇跡と言わないでなんとしましょう!

また、身体や頭が軽く、気持ちよく動くようになってきました。年末の大掃除の時に、全然疲れない身体を発見して驚きました。朝8時から初めて、途中玄米おにぎりとけんちんのみで、夜中の1時過ぎまでお風呂を磨いていたのです。(笑・あまり調子にのるのも、ダメですよね)

また、おつき合いで飲みに行って、久しぶりに朝帰りをしたことがあったのですが、(これ自体ダメダメですが・笑、飲む量は以前の5分の1位です)3時間ほどの睡眠で、次の日の仕事が普通にできました。(もちろん、1回だけだからです!)以前はたくさん飲んだ朝、必ず罪悪感と不安感、焦燥感に襲われていましたし、朝帰りは次の日、丸1日をダメにしていました。私にとっては進歩です。

体重は一度6キロ減ったのですが、後半の乱れで2キロ戻ってしまい、始めたときから4キロ減です。

 

家族も玄米に馴染んでいます。プラスして肉や魚を準備することもありますが、野菜料理だけの日も多いです。それぞれに外食も多いので、外では好きなものを食べて良いと思っています。けれども、夫も息子も娘も、調子が悪くなると家のご飯を食べたがり、風邪ぎみになると「梅生番飲もうかな。作ってくれる?」と言うようになりました。身体の声を聞いてくれていると思うと、嬉しいです。
恭子注
自分だけ仕合せになりなさい、
と私が皆さんに言う事を実行してくれたからです。
本人が健康に活き活きと輝いてくれば、家族は自然に取り入れるようになります。

 

他にもぼんやりしていたら気がつかないほどの小さな変化がたくさんありました。昨日家の機器の修理があって業者が家に来たのですが、仕事が忙しくて部屋が荒れたままで迎え入れることになりました。以前の私でしたら、ありえないこと。寝ないで片付けてキーキーするか、散らかしたままの家族に当たり散らしたものです。落ち着いて、出来るだけ片付いていれば良いじゃないと対応できました。見栄っ張りというか、良いところを見せたいという気持ちが大きかったのですね。
恭子注
そうです、自分をかばってよろいかぶとをまとっていると、鬱になり易いのです。

人間には3つの欲があります。
色欲、金欲、見栄欲、です。
この中で、見栄欲は、権力欲ともいえますが、まじめな我々にもある、しかも、生涯取れないしつこい欲です。
自分が良く思われたいという欲です。

鬱になる人は、これが強いのです。
よく見られたいために、天使のように優しくて、仕事も出来、スーパーマンのように強い人を自分に求め、よろいかぶとをまとってしまうのです。
 
また、自然に穏やかな気持ちで、感謝がわいてくることが多くなりました。以前も、「感謝はいいこと」「感謝しよう」と頭で思っていたのですが、気がつけば自分のことばかりだった気がします。自分ばかりがタイヘンタイヘンと被害者意識が強く、他の人の大変さや事情を思いやる余裕はありませんでした。
最近は自然に、他人や動植物に親愛や感謝のようなものを感じられるようになりました。そうなって初めて、自分は他人が怖くて、信じられなかったのだなあと思います。怒りを感じることも惨めさを感じることも、他人に多くを求め、自分の望むように動いてほしかったからだとわかります。完璧であろうとして、他人も自分もを追い詰め傷つけ、どんどん自分が嫌いになっていった末が鬱病だったのです。
恭子注
もう言う事がありません!
うれしいですね!
感謝は全ての問題の解決法です。
感謝が心から出てくれば、その瞬間、仕合せなのです。
これが、半年、12回の講座を実際に受けてくださったことの成果です。

 

 

【これから心がけたい事】

@心が暗くつらくなったら身体を動かすこと。

目の前のできることをひとつだけすることを忘れないようにしたいです。できたら、できたことを喜び感謝する。気分が落ち込むと何もかも嫌になってしまうのですが、ひとつでもふたつでも、仕事が片付くと不思議と心が落ち着き、もっとやれるような元気がでてくることを発見しました。

 

Aすること、ひとつひとつ楽しむこと。

いつも仕事に追われ急かされるように食事を作っていたのですが、ていねいにお料理をすることの楽しさを教室で想い出しました。そして、丁寧にしても、そんなに時間は変わらないことを発見して、うれしくなりました。自分は料理をつくることが好きなのだなあと感じられると、あったかい気持ちがわいてきます。材料を買いそろえられる経済があること、喜んで食べてくれる人がいること、大感謝です。

他にも、嫌なところではなく、楽しいところ好ましいところに視点を合わせるよう心がけたいです。「すべてが良い」はない(これは河合隼雄さんの言葉ですが)のだから、恭子先生の「○○よりは、まし」の精神で、よいこと楽しいこと探しに努めたいです。

 

B器を知り、その器を受け入れること。

私はずっと、大きくて丈夫で美しい、たくさん入る器が欲しかったのだと思います。自分の小さな器を認めたくなくて、身体も心も無理をたくさんしてきました。人ができることは全部したかったし、人が持っているものは欲しかったので、なにをしても自分が惨めでした。ボンヤリしていると、なにか損をしてしまうのではないかと、いつも焦るような気持ちで生きてきました。
けれども、先生の話や教室で一緒のみなさんの話を聞く中で、ひとりひとりが別の悩みや課題を持っていることがわかってきました。どんなに無理をしても手に入らないものがあるけれど、自分がすでにたくさんのものを持っていること、また持っているものを当然として感謝もしていないことに気が付きました。器を受け入れた上で、無理なく、器磨きに努めたいです。
恭子注:
善:悪 の比は、6:4 でよろしいのです。
これを人に対しても、自分に対しても、出来事に対しても、思うのです。
人にやってもらうことも、自分ができることも、病気が治ることも、仕事ができることも、何事も、6:4 でよろしい、のです。

 

 

今でも、心にはいろいろな揺れ、ブレがありますが、恭子先生が伴走してくれていると思うと、それだけで心強く、自分軸に戻ることができるようになってきました。ほんとうに感謝です。

最後に、鬱病の二年間、繰り返し読んだ恭子先生のブログにどれだけ救われ、勇気づけられたかを感謝し、今、直接教えていただけることの幸せにさらに感謝して、レポートを終わります。

 

とても長くなってしまってすみません!読んでいただき、ありがとうございました。

後期も、楽しみにしています。どうぞよろしくお願いいたします。

 
恭子からひと言:
半年で、ここまで、自分の器、との付き合い方が悟れてきたことは、素晴らしいと思います。
自分の頭で自分の心で、しっかりと、考え感じることのできる優秀な方です。